縁は異なもの味なもの
聴いた話ですが、今年からいよいよ本格的な行動の年に入ったようです。 「カリスマ」の言うことを聴いて追随する或いは依存することは もはや時代遅れであり、時代に取り残されてしまう。
ますます自分の意志で判断することが重要になって来る訳です。 そういえば、昨年度書籍売上一位となった「嫌われる勇気」。 電車の中吊り広告でこのタイトルを発見した時は 「おおっ!」と胸が高鳴りましたね、しびれました。 そこの論評読んですっかりそれで満足して、それで終わりですけど(笑)。
おそらく日本人は同調性が高過ぎますから、 ゆとり教育時代には、徒競走なのに皆で手を繋いでゴールするとか、 訳の分からないルールも出来たりしました。
その後、学力面で諸外国に差をつけられてしまうという憂き目に合い ゆとり教育廃止となったようです。
自分の身に置き換えて考えると、両親は、高度成長時代の申し子のように お金を稼いで、私達子供に与えることを第一に考えていたのではないかと思います。
一緒に台所に立ったり、考えさせられたり気づいたりという体験が乏しく なんでもかんでも子供のため子供のためとやってくれる。 すっかり脆弱になりました。 自分を客観的に見つめる意識も育ちませんでした。 笑うことも少なかったと思います。 皮肉はよく言われました。 自尊心の著しい低下から、人の顔も見ることができなかったのです。 これは悲惨な結果です。
でも今ではこうやってブログでオープンに話せるようになりました。
長年封じ込めていた本来の自分が表出する。それに素直に従って行くと 自立心が芽生えて育ってゆく。 そんな実感を持っています。